2015-03-28

同 士




オトナモードと出会ったのは、カナダの高校を卒業して日本に帰ってきた夏の日。


ハルが応募したオーディションライブでタイバンした内の一組だった。


会場は、原宿のルイード。


その当日、ベースの高橋くんが事故にあって到着が遅れるというハプニングがあり


リハの順番がくるった。


その時、律儀に誤りに来たのが啓太だった。


私はリハすら知らなかったド素人だったから、


なんで謝られてるんだろう? と思っていたけど


そのうち啓太やメンバーとは話が進んで仲良くなった。


「俺、緊張すると手に汗かくんだよ〜。。。」という啓太の話から


同じ経験があるハルが、


カナダのホストファミリーに「ウェッティー」と呼ばれたことがあって


「じゃ、同じウェッティーだね」ということで、


私やハルにとっては、それ以来ウェッティーという愛称になった。


以前に「いっしょ」というユニットで活動していた啓太は


少し業界なれしているような独特な感じがあったのも覚えている。


初めてオトナモードの演奏を聴いたのはその時のリハだった。


ほんとにびっくりした。


あの時、ステージから独特の風が吹いたように感じた。


ロックでも無く、ポップスでも無い、


アートのように音で色や情緒をかもし出して、まるで舞台を観ているようだった。


美しかった。


そして、その日同じディレクターにみそめられて


オトナモードとDewの活動が始まった。


兄弟姉妹のように思っているのはこんな経緯があるからなのかもしれない。


それからインディーズ時代を経て


それぞれメジャーの流通でデビューするきっかけを掴んだ。


そこからディレクターと共に、


オリコンに載るようなミュージシャンになる「勝負」が始まった。


当時はオリコンに載ることに意味があるような、


まだそんな時代だった気がするし、


分かりやすい目標として使われていた。


けれど、商業ベースで音楽を作るには、


好きなことをやっているだけではいけなかったし、


なんせ売れないといけなかった。


そう言う意味で、音楽家として大きな責任を背負っていた。


例えばだけど、


自分たちが挑戦していたのは、ある地域で愛されるパン屋さんではなくて


全国のコンビニでみんなに買ってもらえるパンを作ることだった。


定番を作ることだった。


当時のディレクターが繰り返し言っていた「勝負」。


文字通り、勝つか負けるかのギャンブルのような日々だったと思う。


そんな時、身近に居てくれたのがウェッティーだった。


時々説教じみたことを言われて、「兄ちゃん面するなよ!」と


ムッとしたこともあったけど、


制作の面で、色々励まし合ったと思う。


まだ二十代そこそこで、周りの大人にやいやい言われながら、


お互い必死にしがみ付いた。


「悠、最近顔が怖いよ、大丈夫?」、「ちゃんとご飯食べてる?」


と気遣ってくれたのもウェッティーだ。


たった一人の同士だった。


ほんとに、いい奴なんだぁ。






そんな彼が、この前国家試験に受かって保健師になった。


すごい努力だと思う。


けれど、正直素直に喜べないのは


もっと、もっと、


もっと、もっと、惜しまれるべき存在だったのになと心底思うから。


彼が地道に積み重ねて来たことが、これからどんな形であれ、


輝いてくれればいいなと心底願う。






2015-03-24


無難と言われる。 


死ぬまでずっと言われ続けるかもしれない。


私が真っ裸になったって、何も出てこない。


プライドなんか、いつだって捨てれる。


執着するのも疲れた。


メラメラに燃えて、灰になってしまいそうで、


とても恐い。


こわいんだ。



2015-03-23

g e n e r a t i o n




最近は、大体10歳違いの人たちと話をすることが多くて、


なんだか面白いです。


上はアラフォー、私がアラサー、そして二十歳前後。


大体10歳ぐらい下になると、ゆとり世代で


私の時は、ほんとエリート志向の、ゆとりとは真逆といった感じで


10ぐらい上になると、色々実験的な時期だったそうで、


今日、そんな話になりました。


どれが良いとか悪いとかは分からないですけど、


その時の時代にとても影響されてるんだろうなと感じます。




みんながみんなかは分からないですけど、


私が中学生の時はほんと、全てテストの点数で判断されるような環境でした。


試験の結果は廊下に張り出されたので、


だから必死にやってましたけど、


でもだんだん自分が点数の為に生きているような気がしてきて、


毎朝同じ制服を着て、同じバスに乗って、同じ教科書を開いているうちに


だんだん虚しくなってきて。


それで中三の夏の留学体験でバシッとくるものがあって、


思い切ってそれまでの生活から飛び出しましたけど、


残った友達はその後も悩んでて、色々人生相談なんか受けてました。苦笑




世代ごとのそんな話をして、それでなんだか面白いなとおもいました。


みんながみんな同じ体験をしてもてある意味面白くはならいので、


こうやって違いを共有できるのは、良いことじゃないのかな。















2015-03-18

T h e p a s t




最近は、古い音楽に触れることが多いです。


先日知ったのは、ジーン・ヴィンセント


ロカビリーというアメリカの50年代のロックンロール。


青年時代のビートルズも夢中になっていたそう。


こうやって辿っていくと、


あのミュージシャンが憧れたのは、あのミュージシャンで、


そのミュージシャンが憧れたのはそのまた古いミュージシャンで、、、


みたいに、年代を遡って繫がっていくのが面白い。


今の音楽のルーツが分かる気がします。


根っこのところを知っておくのは大事な気もするし。


知らないこと一杯だぁ。



2015-03-16


井の頭公園は良い。

背の高いドングリの木の間を抜けて歩くと、なんかすっきりする。
犬や小さな子供を連れて歩く人たちとすれ違うのもなんか良い。
池のそばの神社みたいのも気になる。
噴水も好き。秋の水辺のススキも好き。

昔、花がとても好きだった。花の曲ばかり集めてたアルバムを作るくらい。
今日散歩したら、モクレンの花がとても奇麗だった。

でも生きてると、あれこれずしんと重くのしかかってくることが増えて、
きれいだなぁって思った自分がただ浮かれているだけのように思えて

カバカしくなってしまった時期があった。
花をみるのも嫌になって、おかしいね、花がどうとかそういうことじゃなくて、
い詰めちゃってたんだと思う。


きれいだなぁってただ見上げてることがすごく怖いことに思えた。

見えてないことがたくさんあるような気がして。


ほんとは優しくもないし、強くもないし、大人でもない。

泣きたい時はいつでもある。
それでも、傷つけたくない人たちがいて、悲しませたくない人がいて、 

この人の笑顔がみたいなぁとか、好きだなぁとか、

そういうことなのかなぁと思った。


2015-03-14

A l l i n a d r e a m



カナダの高校で音楽の授業の時、先生がニール・ヤングの after the goldrush を「今日はこれをみんなで歌おう!」みたいな感じで弾き始めて、はじめは歌詞が全然分からないからダラダラ歌っていたんだけど、でも音だけ聴いていたらだんだん心ひかれるものがあって、それ以来頭のかた隅で時々鳴っていた。
後になって歌詞を見て、時代に翻弄される周りの状況に対して戸惑った気持ちを歌っているのかなと自分なりに解釈した。


時代と言えば、私の幼い頃はバブルの絶頂期。恩恵を受けた人と受けてない人とそれぞれ差があるそうだけれど、私の家は結構受けていたほうだと思う。うちは代々商売をやっていて、父親も根っからの商売人。


この正月、父親にあの時何が起こっていたのか詳しくきいてみた。高度成長期からの勢いを持った日本が、世界のお金持ちの大国と肩を並べてやっていく為に、政府がお金をたくさん作ったのだけれど、結局はそれがそこら中に溢れ返って収拾がつかない状態になって、最後はまただたの紙切れに戻してしまった、というそんな流れ、らしい。。。


今ならなんとなくだけど分かるし、泡が弾けた後の父親の努力も想像出来る。でもあの頃は分からない。なんで父親はいつも居ないんだろうとか、外車を乗り回して何してるんだろうとか、なんで最近雰囲気が悪いんだろうとか、そんなことをばかり。
あの頃は、時代の大きな流れからちょっと外れた小さな水たまりの中で、父親がたまに持ち帰って来るその時々の時代の雰囲気に心が戸惑っていたんだなと、そんなふうに思った。
時代、時代、なんて言っていると池上彰さんの顔が浮かんできちゃうけれど、いつの間にか世界の流れに影響されていたりするんだろうなぁ。


それからまたニール・ヤングが頭の中で歌っている。高校生の時とは違う感じで。




2015-03-11

想 う 



四年が経つんですね。


この気持ちが届くかどうかは分からないですけど


震災を通して出会った人たちが


元気でいてくれればとおもいます。



私もがんばって生きようとおもいます。




2015-03-04

睡 蓮 






バングラディッシュの国の花は


スイレンだそうです。


アカンドという10歳の友達に送ろうと思って


描いてみました。


いつも私にも描いてくれるので、


文通ならぬ、絵通?




2015-03-02

夕 暮 れ










夕方とぽとぽと歩きました。


気分転換のつもりが


歩いてると色々考えてしまう。



この前、MCはどうやって考えたらいいの?と


聞かれたことがあって、


自然体で楽しめばいいと思うよ。


としか言いようがなかったんですけど、


私もあれこれ、過剰に考えてた時があったなぁと


思い出していました。


なので昨日ちょっと褒められて


嬉しくなっていました。


MCの為にライブする訳じゃないですもんねっ。


歌を通して、人と出会って、会話が生まれて。


ライブって素敵だなぁと


改めて思ったのでした。





n i c e t o m e e t y o u




日付が変わってしまいましたが、


今日のライブ、雨の中来てくれてありがとうございました。


ライブってやっぱりいいなぁと思えた夜でした。


今日もなんですけど、


「MC上手ですね」とか


「緊張したりしないんですか?」とか


そんなことを言われたりします。 ( 実はっ )


私が知っているミュージシャンの方達はもっともっと上手なので


大変お恥ずかし話なんですが。。。笑


でも何が言いたいかというと、


「 初めまして、こんにちはっ 」


と何も変わらないということなんです。


会場に偶然居合わせた人たちがいて、私はそこに偶然歌を唄いに行って


じゃ、折角こうして会えたのだから


楽しい時間をすごしましょうねっ


ということ以外に何もないんだなと


ライブを重ねるとつくづく思います。


こんな感じのほうが、やっぱり楽しいですしねっ。




実はなんですけど、自分で台本を作っていた時期もありました。 


他の人のライブを観て、ステージ監督の人が考えたMCをきいて


ほうほう、こんな流れがあるんだなぁ〜なんて研究して


自分なりにまねごとみたいなことをしてみた時期もあったんですけど、


ことごとく、うまくいきませんでした。 苦笑


ライブだってやっぱり「人と人」の関わりだから


なんで、そんな片意地張る必要があったのかな?と


今はそう思います。



何が言いたいかというと、


今日会った人たちに感謝したいです。


ありががとうございました。


私も、至ってマイペースな感じですけど


また遊びにきてやってください。


出演者のみなんもありがとうございました。